ジャケ買いという生き方

CDとかレコードとか本とか今はほとんどのモノをネットで買う事が出来る時代です。
そしてそれらの内容は調べれば簡単に分かります。
内容やその詳細情報を事前に調べれば本当に自分が欲してるものかどうかが分かります。
その上で財布と相談してポチっとすれば失敗する事はほぼないでしょう。

東京にいたころレコードを漁ったり古本屋を回ったり、よくしてました。
詳しい先輩に連れられて無理やり欲しくもないCD買わされたりしてました。
でもその先輩の事を信頼してた(少なくとも音楽に関しては)ので損したな~なんてことは一度もありません。
実際そのときはピンと来なかったけど、今、改めて聴くとグッとくるものが多かったりします。

それと同時にジャケ買い、所謂、まったく知らないミュージシャンだけど、面構えで買うって言うのが好きなんです。
中身はもしかしたら全然好みじゃないかもしれない(実際そういうものもあった・・・)けど、ソイツが醸し出す雰囲気を五感をフル活用して感じて手に取る。不思議な事に段々そういう感性って磨かれていくもんです。
その結果、予想してたよりも何倍もいいものに出会えたり、します。

で、なんでそんな話をしたかと言うと、先日書いたイマジンの話と少しリンクするかなと思ったからです。
自分の欲しいモノ、自分の聴きたい音楽だけをダウンロードとか出来ちゃう時代です。
佐野元春さんのモトハルレディオショーで言ってたけど、若者が一ヶ月に音楽に支払う金額って80円らしいです。
それが金額が低いとか高いの話じゃないです。
その現実は誰が生み出したのか。

ミュージシャンが実力不足だったからか。
もちろんそういう人もいたかもしれない。
でも考えなくちゃいけないのは目の前にあるモノを目の前にあるモノとしてただ自分の財布事情や好みというせまーい視野でしか捉える事のできない僕ら側にもあったんじゃないのか?という視点だ、と思えてくるのです。

もちろん知らないミュージシャンのアルバムやライブに汗水流して働いたお金を払うのはリスクがあるかもしれません。でも五感をフル活用して「これはいいもんだ」って感じたら、その先にある音楽文化というものを枯渇させてはならない、ってところまでイメージしたいなと僕は思う。例えまったく知らないミュージシャンであろうとね。

自分の店の話になるけど、うちのドライフルーツやナッツは全てオーガニックなものを取っている。
やっぱり高い。電卓弾くと頭を少し抱える(笑)
でもそれは身体にいいとか健康にいいとか言う前に、それを扱っているその会社の心意気を買っている、と言う事。
いつか書いたかもしれないけど、その会社が無くなっても他に取り扱い店はあるからウチとしては困らないかもしれない。でもそんな心意気のある会社が世の中からなくなってしまう事を考えたときにそれはとても悲しい事だし、大きい事を言えばそんな社会は嫌だなと思う。そしてそのドライフルーツを作っている遥か彼方のイカした農家さんまでイメージは広がるわけだ。

自分の私利私欲、好みに応じた何らかの犠牲(この場合支出や購入)への見返りは想像通りの範疇だけど、そこの枠を超えた何らかの自己犠牲への見返りは想像をはるかに超えていつか必ず返ってくる。ジャケ買いという絶滅寸前の生き方にそのヒントがあるように思えてならない。

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