8月3日

8月3日 読本 メモ

「何かおかしいとおもう、それは自分ひとりでおもいはじめることはなく、ほとんどの場合、ひととであうことを通じておこると言える。自分のやったことをふりかえり、それが何だったかをかんがえる。じぶんのやっていなかったことを発見して、生き方を変える。こういう作用をおこすひととのであいは偶然ではない。たくさんのひととであい、無数のことばを聞き流して生きているなかで、生き方を変えるようなであいは、自分でえらびとらずには、そういうものとして気づくこともない。自分の内部に変わろうとする意志があり、変わらずにはいられない必然性があって、それが外部からの機会と一致する、そのとき、変化が起こる。」

「結局、自分の音楽を持って政治的・社会的問題に参加するかぎりは、政治と藝術の分裂にくるしむだけだ。
この二つのものの統一は、民衆のたたかいと生活と歌が一つである場所にしかないだろう。たたかいなしには生活もありえないのが民衆の名にあたいする民衆で、かれらがじぶんたちの力でたたかいの歌をもつことが、文化の根だ。
個人的立場の弁明ではなく、運動をいっしょにすすめるために、個人の立場を変えることのほうが問題にされる。」

高橋悠治「たたかう音楽」より抜粋。

この本が出版されたのは1978年。
経済が右肩上がりに伸びていく日本からは、アジアや東南アジアはニューヨークやパリよりも「遠い」場所だったろう。そんな中、軍事政権下での圧制に一つの杭を打ち込むジット・プミサクのような(この本の装丁には彼の肖像が描かれている)強く、するどい民衆の声に突き動かされる。民衆たるためにはたたかわなければならなかったのだから。
翻って今の日本でわれわれは本当に文化の根を張っているとはいえないんだろうな。
プミサクの杭はわれわれにも突き刺さってくるのだから。

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