9月

8月も終わりあっという間の9月到来。
なんだかせわしなく過ぎ去った夏でした。
そして9月もなんだか始まりからせわしない。

まず、今週末は「ウエカルバ」と「バル街」があります。
「ウエカルバ」は週末の土、日に金森にて、バル街は日曜日に行われます。

今回のバル街では「山田農場」さんのトムというチーズやワイナリー「農楽蔵」さんの「ヤマソービニヨン」を使わせてもらい、なにやら面白いコラボが生まれそうな予感です。ぜひ足を運んでみてください。

「ウエカルバ」の方にも週末のみお焼きするパイや山のケーキなどを持っていく予定です。そちらもぜひどうぞ!

8月31日

店のある元町からバス通りを谷地頭方面へと車を進めていくと、どうにもうまくいかない信号があり、うっかりその道を使ってしまうと、長い赤信号にお付き合いとなってしまう。
その信号(多くの方が同じ経験をされていることと思います)、手前とその100mほど先にもう一つあり、必ず交互に変わる。なのでこっちが赤なら向こうは青だし、こっちが青に変わると向こうが赤になるのでなんとも・・・スッと行かないもんで。

え~今日は少しラスクあります。

8月27日から、ハコイノリ。

ハコイノリ
函館はめっきり涼しくなって来て、
秋の様な気持ちよさがあります。
しかし!これからが夏本番!!
イベントが目白押しです。
8月27日からハコイノリ前夜祭・本祭に
向けてアーティストにダンス・歌・太鼓を教えて貰って、
公演当日にみんなで楽しさを共有出来る

本当に温かいイベントです。

こんな便利な世の中でも、やっぱり大事なのは人と人を繋ぐ、
関わりを大事にする気持ちなんだなと
主催のパザールパザール夫妻とチラシ作りから関わって来て
しみじみ思います。

それからトンボロワンネスボックス(唯一のランチボックスの意味です)にパンで参加します。
大沼の知る人ぞ知る名店:ニーヨルと絶品カフェのククム
美味しい献立を立ててくれて何と1000円100食限定!
9月1日四季の杜公園にて限定販売です。

トンボロでもチケット販売しております。
夏の最後に是非に(^_^)v

草臥れて


村八分の山口冨士夫氏が亡くなっていた。
何度も聞いたし、今でもよく聞く。
「草臥れて」というアルバムを聞くと時間を持て余していた学生時代を思い出す。

お盆期間中だった今週は懐かしい友人が何人か会いに函館まで来てくれた。
ずいぶん時間がたった気がしているけど、僕もみんなも何にも変わっていない。すぐ「あの時」の感覚に戻れる。不思議な感じです。

またたび

先日、帰省中の高校時代の友人Tと近所のおばあさんが切り盛りする焼き鳥屋に飲みに行った。
そこで普通にビールと焼き鳥でしっぽりやっていたのだが、ふとビールサーバーに目をやるとルーズリーフに走り書きされた「またたび酒」というのがどうにも気になった。
そこで頼んでみた。
度数は高く、漢方のようなにおい。
これが効いた。
店を出るころには腰にキた。
翌日の定休日、午前中はぐったりしていたけど、さすが「またたび」。
午後からは俄然やる気が出てきたので薪を割ったり、切ったり。

暑い盛り、疲れた身体には効くのか、またたび酒。
ちなみにそれは17年モノらしい。ヴィンテージ。一杯¥400。
2013年夏、「千羽」にて。

柏木町へ

本州の人には申し訳ないですが、やっと北海道の夏がやってきました。
暑い・・・
パン屋は暑い・・・
 
でも、夕方は少し風が涼しくなるのです。
娘と夕涼みに散歩するのは気持ちいいです。

さて、明日8月9日、金曜日は柏木町へ出張販売です。
大体13時位から始める予定です。
元町よりもそっちのが近いよ,と言う方は是非。
元町のお店の方も開いておりますのでそちらも併せてよろしくお願いします。

KARAMO BOOKS@京都

リンクのページにもありますが、
京都のKARAIMO BOOKSは私たちの大好きな家族が営んでいる古本屋です。
ちょっとした喫茶コーナーもあります。
ちびっこも一緒に行けます。
2歳の女の子もいて可愛いです(^^)
奥さんは超美人です。
ご主人(?)は超変人です(笑)
絶妙なバランスで凄く居心地の良い本屋さんです。
京都に行く方は是非!
オンラインショップもあるので覗いてみてください。

何だか最近主人が真面目なブログを書いているので、
業務連絡(^^)
紹介しているような本はKARAIMOで買えます。
ホームページ見てね。

8月3日

8月3日 読本 メモ

「何かおかしいとおもう、それは自分ひとりでおもいはじめることはなく、ほとんどの場合、ひととであうことを通じておこると言える。自分のやったことをふりかえり、それが何だったかをかんがえる。じぶんのやっていなかったことを発見して、生き方を変える。こういう作用をおこすひととのであいは偶然ではない。たくさんのひととであい、無数のことばを聞き流して生きているなかで、生き方を変えるようなであいは、自分でえらびとらずには、そういうものとして気づくこともない。自分の内部に変わろうとする意志があり、変わらずにはいられない必然性があって、それが外部からの機会と一致する、そのとき、変化が起こる。」

「結局、自分の音楽を持って政治的・社会的問題に参加するかぎりは、政治と藝術の分裂にくるしむだけだ。
この二つのものの統一は、民衆のたたかいと生活と歌が一つである場所にしかないだろう。たたかいなしには生活もありえないのが民衆の名にあたいする民衆で、かれらがじぶんたちの力でたたかいの歌をもつことが、文化の根だ。
個人的立場の弁明ではなく、運動をいっしょにすすめるために、個人の立場を変えることのほうが問題にされる。」

高橋悠治「たたかう音楽」より抜粋。

この本が出版されたのは1978年。
経済が右肩上がりに伸びていく日本からは、アジアや東南アジアはニューヨークやパリよりも「遠い」場所だったろう。そんな中、軍事政権下での圧制に一つの杭を打ち込むジット・プミサクのような(この本の装丁には彼の肖像が描かれている)強く、するどい民衆の声に突き動かされる。民衆たるためにはたたかわなければならなかったのだから。
翻って今の日本でわれわれは本当に文化の根を張っているとはいえないんだろうな。
プミサクの杭はわれわれにも突き刺さってくるのだから。

8月2日

8月2日 読本 メモ

「いま、たくましさはわかっても、人の心のかなしみがわかる青年がどれだけあるだろうか。
人の心を知らなければ、物事をやる場合、緻密さがなく粗雑になる。粗雑というのは対象をちっとも見ないで観念的にものをいってるだけということ、つまり対象への細かい心くばりがないということだから、緻密さが欠けるのはいっさいのものが欠けることにほかならない。」

岡潔「春宵十話」より抜粋

この岡潔という人は数学者ですが、彼曰く学問とは能力とか小手先でできるものじゃなく、「情緒」の中心が大事になってくる、ということらしい。それは、単に情操教育が大切だとかいったことではなく、きょうの情緒が明日の頭をつくるということ。情緒の中心が実在するということを教育の場で「教える」というパラドクスを超えたところに光明が見え隠れする気がしてならない。